レモンのくらし

ムダを省けば余裕が生まれる、ラクになる。

【断捨離の基準】『何を捨てるか』と『何を残すか』は似てるけど全然違う

どうも、レモンです。

 

 

昔から、比較的モノをさくさく捨てられるタイプの私ですが、年齢と共に捨てにくさを感じるようになりました。

 

 

以前は感じなかったモノを捨てることへの罪悪感や、決断の鈍さ。

 

 

ずーっとなんでだろう?と思っていましたが、最近その謎が解けました。

 

 

 

 

断捨離が進まない方や、手放したいのに躊躇してしまう方はもしかしたら、この考え方がネックになっているのかもしれません。

 

 

 

 

『何を捨てるか』を重視している

私も今回の断捨離を始めた時、最初に考えていたことは『何を捨てるか』でした。

 

 

モノが多くて管理できずイライラ→モノを減らさないと、という流れで始まった断捨離なので、捨てることにフォーカスしてどんどん物量を減らしていきました。

 

 

最初は捨てるものが多い状態なので、さくさくと作業は進みます。

 

 

けれど、どこかの時点で捨てることだけにフォーカスしていると行き詰まりを感じるように。

 

 

捨てにくいモノにぶち当たった時は思考停止してしまうし、自分にとっては不要だけどまだまだ使えるモノを捨てる罪悪感も出てきます。

 

 

そうなると断捨離が突然苦行になってしまうのです。

 

 

   

 

 

『何を残すか』の視点で見ると景色が変わる

疲れた時は手を止める、が前提条件ではあります。

 

 

しかし、『何を捨てるか』から『何を残すか』に視点を変えた瞬間、手が動くようになること何度も経験しています。

 

 

例えば洋服。

 

 

毛玉が目立つ服、形崩れした服、汚れがある服など、着るのにはちょっとな〜と思う服は比較的簡単に断捨離できると思います。

 

 

けれど、毛玉もない、形崩れもない、汚れがない、でもお気に入りでガンガン着たいかと言われると…う〜ん…と悩むことはあると思うんです。

 

 

そういう時に『何を残すか』の視点に変えてもう一度洋服を眺めてみる。

 

 

残したいと思う=お気に入りである、思い入れがある、ということ。

 

 

ならばそういう感情が生まれる洋服だけを残して、あとは潔く手放してしまう。

 

 

そんな考え方にシフトするとお気に入りのモノに囲まれた暮らしになるので、『何を捨てるか』視点で考えていた時よりもずっと満足度の高い暮らしになると思います。

 

 

 

 

また、残すモノ視点で断捨離すると、なぜか罪悪感も軽くなります。

 

 

不思議な感覚なのですが『お気に入りを大事にしたいから、その他は手放しても大丈夫』と無意識に思うようになるからでしょうか?

 

 

どちらにフォーカスしても結果的に捨てることになるモノは同じなのに、心の負担はだいぶ違います。

 

 

ですので、まだモノを減らしたいのに断捨離に行き詰まっている方、躊躇して手が止まりがちな方は視点を変えて頑張っていただけると、少しばかり気が楽になると思います。